坂本龍馬★
2010年03月04日
去年、今年の大河ドラマが龍馬伝と言う事で長崎に調査に行く事に
無事に長崎に到着

まずは龍馬通り
龍馬通りは、古寺や墓地や民家に沿った急な石段の坂道で、ちょうど行った時が夏で汗だくに
中腹の亀山社中のそばの見晴らしの良い場所に、『龍馬のぶーつ像』のモニュメントがあります
残念ながら写真を撮り忘れ
「日本で最初にぶーつをはいたといわれる男、坂本龍馬。当時土佐では、身分制度がきびしく、下級武士である郷士の家に生まれた龍馬は、ぞうりしかはけなかった。自由の地長崎に来て龍馬はぶーつをはいて大いに張り切った。」と言われています
さぁ、次はいよいよメインの亀山社中へ
「慶応元(1865)年5月に、坂本龍馬(1835~1867)は、この地に、日本初の商社を設立し『亀山社中』と称しました。亀山社中の事業は、航海・海運・貿易などでした。慶応3(1867)年、亀山社中は、土佐藩直属の「海援隊」となり、坂本龍馬は隊長に任命されました。」と案内板にあります
長い坂を登りやっとの思いで社中に到着
しかし
調査に行った日が平日だった為なんとお休み
泣く泣く社中を諦め、せっかくここまで来たのならもう少し登り龍馬像を目指す事に
ここに来るまでにかなりの坂道+石段を登ってきたので疲労がかなりピークに
しかし、気力を振り絞りいざ
地獄の坂道へ
続く・・・

無事に長崎に到着


まずは龍馬通り

龍馬通りは、古寺や墓地や民家に沿った急な石段の坂道で、ちょうど行った時が夏で汗だくに

中腹の亀山社中のそばの見晴らしの良い場所に、『龍馬のぶーつ像』のモニュメントがあります

残念ながら写真を撮り忘れ

「日本で最初にぶーつをはいたといわれる男、坂本龍馬。当時土佐では、身分制度がきびしく、下級武士である郷士の家に生まれた龍馬は、ぞうりしかはけなかった。自由の地長崎に来て龍馬はぶーつをはいて大いに張り切った。」と言われています

さぁ、次はいよいよメインの亀山社中へ

「慶応元(1865)年5月に、坂本龍馬(1835~1867)は、この地に、日本初の商社を設立し『亀山社中』と称しました。亀山社中の事業は、航海・海運・貿易などでした。慶応3(1867)年、亀山社中は、土佐藩直属の「海援隊」となり、坂本龍馬は隊長に任命されました。」と案内板にあります

長い坂を登りやっとの思いで社中に到着

しかし


泣く泣く社中を諦め、せっかくここまで来たのならもう少し登り龍馬像を目指す事に

ここに来るまでにかなりの坂道+石段を登ってきたので疲労がかなりピークに

しかし、気力を振り絞りいざ


続く・・・

Posted by ぱぴぷぺぽ○ at 20:18│Comments(0)
│日々の出来事